掌のうえで踊りましょう







act 1.

「ナマエ」

 先ほどと同じように、轟はもう一度名前を呼んだ。声だけを聞いていれば、ここが戦場だとは思えないほどゆったりとした口調で、甘さを含んでいた。

 近づいてきた相手の鳩尾に拳を叩き込みながらそのような声で呼んでくるのだ。奇妙な光景に笑いが込み上げてきてしまい、「なぁに」と震え声で聞き返す。

「好きだ、結婚しよう!」

 ……何と言ったのだ?
 聞こえてきた言葉は、ずっと待ち望んでいたものでもあり、そのようなことあるはずがないと諦めていたものだった。

 驚きのあまりつい意識を逸らしてしまったが、ここは戦場。眼前に拳が迫っていて、咄嗟に腕で顔を庇う。

 耳のそばで風を切る音がした。その僅か数秒後にバキッと鈍い音がした。頬に感じたのは風圧のみで、そのほかの衝撃はない。
 
「少し大人しくしていてくれ。いま大事な話してんだ」

 目の前には吹き飛んでいく敵、顔の横には轟の腕があった。どうやら私の背後から腕を伸ばし、肩越しに敵を殴り飛ばしてくれたらしい。

「……いま忙しいのに、なんでこのタイミング!」
「今しかねぇと思った!」

 拳を構え直した私は、轟の背後に迫っていた敵を殴り飛ばしながら、半ば叫ぶようにして轟に疑問をぶつけた。

 意味が分からない。これまで幾度となく機会はあったはず。なぜ戦いの一番苦しい局面でプロポーズすることを決意したのか。

 感動よりも先に、怒りが激発した。きっとプロポーズを受けた女性として似つかわしくない反応をしている自覚はあるが、この激戦の状況がプロポーズに最適だとは思えない。

 私の反応は尤もだろう。しかし轟はこれが正解だというような態度で答える。

「ていうか巨乳アイドルはどうした!」
「巨乳……? あぁ、週刊誌のやつはデマだ!」

 どのような手を使っても手に入れる、と心に決めたものの、私がそれを行動に移しはじめてまだ24時間も経過していない。だというのに轟はコロッと落ちてきた。

 轟の心情が理解できず、キレ気味に例のことについて聞けば、分からないという表情を浮かべたのちに思い至ったかのように頷いた轟は叫ぶようにして返答した。

「知らねぇやつの胸なんかに興味ねぇ!」
「あんだけしつこく触ってきといて、巨乳好きとか言ったら殺してた」
「物騒だな! でもそうしてくれて構わねぇ」

 ヒーローにあるまじき過激な発言をしてしまったが、轟はハハッと息を漏らして笑った。

「これ終わったら、指輪、受け取ってくれ!」
「持ってきてるの?」
「ポケットの中に! 燃えねぇように耐熱性のやつにした!」

 ナマエのやつも、と付け加えられた。
 押し入れの奥で見つけたベルベット生地の小さな箱。誰かのために轟が用意したのだと決めつけていたそれは、私のために用意されたものだったらしい。
 
「似合わないって言ったくせに!」

 この期に及んで私の口はかわいくない言葉を紡ぐ。
 照れ隠しにしても、もっと可愛らしい言動ができないものだろうか。飛び出してしまった言葉はもどってくることはない、後悔先に立たずとはまさにこのことだ。

 予想外の反応だったのか轟は瞠目したのちに、慌てた様子で声を上げた。

「あれはジーニストに先越されたと思ったからだ! それに俺が選んだやつの方が似合うと思った!」

 つまり何だ? ジーニストが選んだ(これは轟の勘違いだが)指輪が『似合っていない』ということだったのか。
 轟の言葉足らずなところも一因ではあったが、それだけではない。私が密かに抱えていた劣等感が、轟の言葉を曲解してしまい、すれ違いをさらに加速させてしまったのだ。

「勘違いさせたよな、悪りぃ! 俺はナマエと家族になりてぇ」

 『正しい家族』が分からないからと、結婚は自分に縁がないものだと切り捨てようとしていた轟。
 そんな彼から発せられた『家族になりたい』という言葉の裏にはどれほどの葛藤があったのだろうか。そしてどれほどの覚悟と勇気を持って、言葉にしてくれたのだろうか。

 私はどれほどの勇気をかき集め、覚悟を握りしめればそれに応えられるだろうか。

「間違えちまった時は、殴ってでも正してくれるんだろ! お互いに気が長ぇ方じゃねぇからしょっちゅう殴り合いになっちまうかもしれねぇけど、その度に仲直りすれば問題ねぇよ!」

 いまの私が抱いた勇気と覚悟は、彼の『家族になりたい』に釣り合うかは分からない。それでも私は生きるのも、死ぬのも彼の隣がいい。

 この世界において、私ひとりの命の重さなんてちっぽけなものかもしれない。それでも私たちはヒーローで、誰よりも命の尊さを知る。だからこそ私の全てをかけることができたならば、それは答えとして十分なのではないだろうか。

「……指輪のサイズ! 間違えてたら一生笑ってやるから」
「そうだな、一生俺の隣で笑ってくれ」

 私の答えに、轟は地に慈愛をそそぐ朝日に溶け込んでしまうような柔らかな表情で笑った。夕方であれば染まる頬を夕日のせいにできたのに、これほどまでに朝日を理不尽に責め立てたくなったことはない。

 こういう時だけ妙に鋭く、言葉の意図を察した轟の返答は、使い古された求婚のセリフだったが、特別な言葉のように思えた。耳をくすぐり、じんわりと胸に温もりを与えた。

「くっさ」
「もう加齢臭か?」
「違う! セリフが」

 笑い声と共に吐き出した感想に、轟はギョッとしたような顔をした。その表情がまた現在の状況に似合わなくて、笑いを誘った。

 肺は重苦しいし、脚は怠いし、全身が痛むというのに、なぜだが笑いが止まらない。それは轟も同じようで、動いているせいだか笑っているせいだか分からないままに息を乱しながら、私と轟は敵を牽制しながら走る。

「落ちるなよ」

 私の腕を掴むと同時にかけられた言葉。
 思考を読むなんて個性はもっていないのに、なぜだか轟がこれからしようとしていることが浮かび、私は風を起こす。

 轟がつくり出した氷山に、風で身体を押し上げ、勢いのままに上がる。
 氷山は講堂の上で途切れていて、勢いよくかけのぼった私たちの身体は投げ出される。空中で体勢を整えた轟は、着地するよりも先に講堂の屋根に穴を開けた。




- 23 -


back



Top